偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

どうでもいいことに心血を注ぐのはもはや俺のアイデンティー

友人と高校生の頃23歳って物凄く年上に思えたけどいざ自分がなってみると大した事が無いという話題で盛り上がり、そこでふと湧き上がったのは昔の俺に比べて今の俺がどう変わったのかと言う疑問。


ここ5年くらい中身が変化していない気がするんですが、果たして昔の自分はどんな事を考えていたのだろうと紙媒体の日記*1を戸棚の奥から引っ張り出してきて読んでみました。


読者の存在を意識して書いているネット上の日記と自分用の備忘録である紙媒体のそれとでは文体などに違いはあるとはいえ、文面から浮かび上がってくる俺の行動は今とあまり変わっていないのは喜ぶべきか悲しむべきか。
主に取り上げる事柄が読んだ本とやったゲームと日常の出来事で、現在のネット日記とほぼ同じなのは驚きでした。昔からこんな事書いていたんですね俺。


そして読み進める内に、2000年の4月上旬頃の記述であまりにもどうでもよさ過ぎる調査をしているのを発見して大爆笑。

街行くカップルのうち手を繋いでいるものをピックアップし、便宜的に男性が手を繋ぐのに使っている手により「右手派」「左手派」に分類。

「(生物の本能として)男は女を守ってやるために手を繋ぐときに利き手たる右手を残しておき、女は相手を信頼して寄りかかっているために利き手の右手を相手に差し出す」という果たして動物行動学的に正しいのか全く判らない俺理論を検証しようとしてしたらしいです。


最終的に54組中32組・59.2%が左手派(男が左手を使う)
左利きの人の存在を考えるとこれが誤差の範囲外なのかどうか実に微妙です。
少なくとも事前に俺が予想していたほど右手派と左手派の差は無いようでした。

もっと調査を続けて、数百・数千のオーダーでサンプルをとればまた結果も変わってくるかもしれませんがこの時はここで終了。
徒歩通学から自転車通学に変わり、人の少ない裏道を通るようになったので街行く人々の観察が出来なくなったというのも原因の一つながら単純にカップル観察し続けるのに心が萎えたようです。そりゃそうですよね。



ちなみに俺は自分で繋ぐとしたら右手を使いますね。自分で構築した理論と食い違うじゃないかと言う批判についてはノーコメントでお願いします。
あと「自分で繋ぐとしたら」ってそんな経験あるのかと言う疑問にもノーコメントで(以下略

*1:日付を見たら1999/1/1から付けていました ここ1年くらいはサイト更新が忙しくて休止中