偏読日記@はてな

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鳥人間コンテスト出場経験者の視点から「旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。」の人力飛行機描写を検証してみる

旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。 (電撃文庫)

旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。 (電撃文庫)


旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。 - 偏読日記@はてな

あと、2話であまりにも唐突に登場する人力飛行機ネタには本当に噴いた。人力飛行機製作経験者として言わせてもらうと、あれは実際に作ってた奴にしか書けない描写だと思います。いくらなんでもマニアックすぎ。

旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。 - 偏読日記@はてな

元々俺がこの作品に興味を持ったのは、友人から「無茶苦茶マニアックな人力飛行機ネタが作中に登場する」と聞いたから。正直なところ、最初はそれだけにしか期待していませんでした。
読んでみると「ラノベ」としても十分に及第点以上の作品だったのでよかったですけれど。
そして当たり障りのない普通の感想を書いて終わりにしようかと思ったんですが、Web上でこの作品の人力飛行機ネタについて言及しているところがほぼ皆無だと言う事に気付いて愕然。これは俺が書くしかないのか。


というわけで、「旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。」作中の人力飛行機描写を、俺の現役時代の機体写真なんかも交えて経験者の視点から解説して見ました。

俺が昔出た時の記録は鳥人間コンテスト出てきました - 偏読日記@はてなや、本家サイトの2002〜2003年頃の日記をどうぞ。

また、本記事は「旅に出よう〜」2話のネタバレしているので未読の方は気をつけて。


それでは以下解説です。

懐中電灯の無機質な光が荷台の中へ差し込み、透明なフィルムが貼られた長い板がそれを反射する。真っ白な素材で出来たフレームは体積としては至極小さいのに、その長さが、4トントラックの広い荷台の中をいっぱいにまで使っている。
(P98)


記念すべき人力飛行機描写タイムの始まりの一文。まず「4トントラックに飛行機を収納」と言う発想は経験者で無いと出てこないと思います。
一般的なサークルは4トントラックを使うのですが、俺のところは普通自動車免許で運転できるからと言う理由で2トントラックに無理やり積み込んでいました。写真の上が自作コンテナに収納して積み込んだ状態、下は主翼を分割して収納ラックにしまい、コンテナに収めようとしているところです。

そう、この非常に長い板のようなものは人力飛行機の主翼だ。透明なのは、骨組みに薄いポリマー製のフィルムを張ることで軽量化しているから。
フレームにはFRPを使うので色は黒のはずなのだが、何故かこの飛行機は真っ白だった。
(P98)

この記述では全面透明フィルムで覆われている事になっていますが、一般には風圧を受ける前半分はフィルムより強度のあるスチレンシート(材質的にはスーパーマーケットで使われている食品トレイの仲間みたいなもの)で覆い、強度の要らない翼の後半部分を透明フィルムを使います。
写真は主翼上面のスチレンシート。

「そうだ、ドーバー海峡で8の字飛行に挑戦するはずだった」
(P98)

「俺達は、ドーバーを渡って世界記録を塗り替えるために……今までやってきたんだ……」
(P103)

8の字飛行の時間を競うクレーマー賞に出るのならドーバーでやる必要は無いし、飛行距離記録を狙うならただ海峡横断を目指せばいいはずですし、何とも意味不明なのがこのあたり。
この世界には「ドーバーで8の字飛行の時間を競う」賞があるんですかね?
参考までに書いておくと現実世界での人力飛行機の飛行距離記録はダイダロス'88の116km(地中海を縦断)で、ドーバー横断では世界記録にはなりません(横断自体はゴッサマーアルバトロスが達成しています)
日本記録は日本大学航空研究会の49kmです。

通常の人力飛行機は、全幅およそ三十メートル前後だと言われているが、この翼は片方の翼が二十メートル近くある。間違いなく長距離飛行用の大型機だ。
(P99)

長距離飛行=大型という公式が単純に当てはまるわけではありませんが、大型機は必然的に翼面加重が下がりその結果機速が遅くなるのでパイロットへの負担を考えれば「長距離飛行用」と言えるかも。
……8の字飛行という旋回性が要求される記録を達成しようとしているところで、旋回が遅い(=主翼が長いので慣性モーメントが大きい)大型機を作ると言うのはちょっと納得の行かないところもありますが。

「テスト飛行のためだ。(中略)本番にいきなり飛ばすほど馬鹿じゃない」
(P99)


これは当然ですね。写真は農道空港を借りてのテストフライトの光景。
併走しているのは着陸時に機体を保持し、主翼が滑走路に接触するのを防ぐためであってけして嬉しいから一緒に走ってるとかそういうものではありません。

「組み立てる人数が必要なんでしょう?今は一人じゃないですよ。三人居ます」
(P102)

「ところで、組み立て作業っていうのは、具体的に何をすればいいの?」
(中略)
「……そうだな。まずは主要部品の組み立て、それと稼動部分の接続と調整。試運転とフライト。マニュアルがあるから問題は無いと思うが、明日1日はかかる」
(P112)

3人で組み立ては無謀すぎる!!そりゃ1日かかりますよ。
しかし作中では機体保持用の冶具が相当充実していると言う描写があるので、一般的な人力飛行機の組み立てに必要な人員の大半を占める「機体保持要員」を全て省力化できているのかもしれません。組み立て途中の機体各部を手で支え続けるのが「人力飛行機組み立て」における作業の大半なので、そこを冶具任せにすれば3人でもいける……かなぁ?

本当に、驚くほど軽いのだ。まるで紙で出来ているかのような薄さにも驚いたが、全長が百四十センチにもなろう大きさの二枚羽のプロペラが、指二本でもてるほど軽い。
「プロペラは漕ぐキツさに真っ先に結びつくからな。そいつの開発には時間がかかったよ」
(P125)

しかし少女の目の前にあるプロペラは、二枚羽であるのは間違いないにしても、羽根の形が妙だった。細い羽根がまるで三日月のように緩やかなカーブを描き、プロペラと言うよりは台所の換気扇のファンのようだ。
「ああ、この形もミソでな。低速回転で高効率を得られるよう工夫してある」
(P127)

流石に「指二本で持てるほど」軽くは無いですが、見た目から感じる重量より遙かに軽いのは確かです。
中身は9割が発泡スチロールが詰まってますからね。強度を持たせてるのはアルミ製の主軸とそこから生えたCFRP製のリブで、それ以外の部分は形さえ保てれば大丈夫なのでこんな構造になっています。
「換気扇のファンのような形状」が低速域での効率を保障するかどうかは、俺は空力設計は全くの専門外なのでよく判りません。
何となくそれは違うんじゃないかという気はしますけどね。実際にそんな効果があるのなら既に何処かのチームで試されていそうなものですし。

フレームを構成するつるつるとした真っ白な素材。少なくとも少女が知る限り、これはプラスチックの感触に近い。
「ああ、そうだ。ただのプラスチックじゃなくて、繊維強化プラスチックだけどな。」
「せんいきょうか?」
「ああ、中にカーボン繊維を編みこんだ「骨」をいれてある。めっちゃ硬いぞ」
(P127)


カーボン繊維強化プラスチック(CFRP)は人力飛行機のありとあらゆる構造部材に使われています。
写真は主翼を横から撮ったところ。黒いのがCFRP製パイプ(主翼フレーム)です。

まさに骨組みだけの主翼には、透明なビニールのようなものが被せてあり、ラップでまかれた割り箸のようだ、とうっかり呟いた。
「繊維強化プラスチックの芯に特殊な高分子フィルムを巻いただけだからな。あながち間違ってないさ」
(P128)

「芯」と言う表現が何をさすのかが作中の文章では不明。
実際は写真からわかるとおり、繊維強化プラスチックのフレーム(黒い棒)からスチレン製のリブ(肉抜きされた板)を生やし、その上に透明フィルムを貼ると言うのが一般的な人力飛行機の翼の構造です。

「な、長すぎるんじゃない?飛ぶとき折れたりしないの?」
「しなう事はあるが、ちゃんと折れないように計算しとるわい。それにこの長さが必要なんだよ。アスペクト比がな…」
(P128)

あんなにしなって大丈夫なのかと心配する向きもありますけれど、実は人力飛行機の主翼はしなった状態で完全な性能を発揮するように設計されてます。しなりの無いのは上半角が取れないのでむしろ問題だったり。

「分割箇所を多くすると、接合用の部品がどうしても多くなる。重量的にもそうだし、強度的にも問題が増える。特にこの素材はプラスチックだから、そうそうボルトやナットで固定するわけにもいかんのだ。ネジを締めただけで損耗しかねない」
(P136)



写真は主翼同士の接合部。見て判るとおり非常に細いボルトのみで力を支えています。
接合部の機構で重量が増加する事、また接合の度に微妙に傷ついていくのが悩みの種でした。このあたりの記述は経験者だからこその実感がこもっていると思います。

「じゃあ、このでかい翼は・・・・・・これで一つの部品なんですか?」
「応よ。チーム全員で寝る間を削って編み出した炭素繊維強化プラスチック複合大型射出成型技術だ」
「つまりはだな、プラスチックを成型する際、でかい二つの型をあわせて中にプラスチックを流し込むんだが、その方をカパっと外したその時点で、既に稼動部分が完成されてる構造になってるのだ。
(P137)

ここは「作中で可能だといっているのだから可能」としかコメントしようがありません。現実に同じ事をしようと思ったらどのような機構にすればよいのか想像もつかない。

「・・・・・・この材料は、リサイクルできんのだ」
(中略)
「プラスチックの再生利用が難しいのは知ってるだろう?どうにかするには溶かして作り直すのが一番なんだが、こいつは中にカーボンナノチューブが入ってる。不純物が多すぎて再利用できない。さらに、プラスチックを廃棄する際は、粉砕して埋め立て処分が基本になるんだが、このカーボンのせいで粉砕も難しい」
「ああ、それに柔軟性や弾性には優れるが、あくまでプラスチックだから硬さに乏しい。壊れ易いのに捨てにくい、っつーでかい弱点があるんだよ。(後略)」
(P138)


入ってるのはカーボンナノチューブでなく通常の炭素繊維ですが、リサイクルしにくいのは現実の人力飛行機CFRPフレームも一緒です。(写真はカウリング取り付け前のコックピットフレーム)
捨てるあてがないので俺の在籍時は4年分くらいのCFRPフレームの残骸がサークルの作業場に積まれていました。アレはどうなったんだろう。
そして違った形の「リサイクル」として、自力でのCFRP製作能力を持たないチームが廃棄された機体のフレームを貰い受けて再利用するといった事もあったりします。

人間で言う背骨に当たる、中央の主フレームの最後尾に、慎重に尾翼が装着される。下方が絞られた逆三角形のような断面をした特異な形のフレームに、V字ならぬA字型の尾翼が接続されると、まるで飛行機が逆立ちしているようにも見えた。
(P144)

「その役目は主翼がやってる。この尾翼の役割は、本当にバランス取りだけだ。何なら全翼機にしても良かったんだが、姿勢制御が難しいからな。あれは」
(P146)


あえてA字尾翼といった特殊尾翼を選ぶメリット・デメリットは俺には判断しかねます。
個人的には通常の尾翼の方が良いと思いますけどね。伊達に世の中一般の飛行機が同様の構造を採用しているわけではありません。
写真は通常の人力飛行機の尾翼。手前が水平尾翼、奥が垂直尾翼です。テールビーム(尾翼を取り付けるフレーム)との接続方法に多少の違いはありますが、殆どの人力飛行機はこのような尾翼構造を採用しています。

また余談として、ほぼ全ての人力飛行機の垂直尾翼はテールビームの「右側」に付いているという法則があります。理由は右利きの人がブースターとしてテールビームを掴んで押す際、身体と尾翼が接触しないように。

「俺達が挑戦する記録は、離陸から着陸までを自力でやる、っていう規定があるからな。あの大会と違って、ちゃんとした離着陸機能が必要なんだよ」
(P145)

ドーバーで8の字飛行して離陸から着陸までを自力、って本当にどういうレギュレーションなのだろう。謎過ぎる。
「あの大会(鳥人間コンテスト)と違って〜」と言われていますが、最終的に琵琶湖へ着水する事を前提に設計するため鳥コンに出場する機体でまともな着陸機構を持つものは殆ど居ません。
重量軽減のため離陸した瞬間に車輪を投棄しようかという案がかなり真剣に検討されるくらいです。

「いいか?そのワイヤーは主翼のねじりを操作する物だ。先端が赤いワイヤーを前側から、青いワイヤーを後ろから通して、操縦桿に繋げ」
(中略)
「コイツには方向舵も昇降舵もないからな。主翼がねじれる事でその役割を肩代わりしているわけだ」
(P148)


……他の記述はともかく、このくだりだけは普通に無理だろと言いたいです。
主翼全体を捻った際に生まれる空気力を受けるには何らかの倍力装置が必要になりそうなところですが、記述を見る限り普通にワイヤーで翼と操縦桿を接続してるだけみたいだからなぁ。そもそもどうやって2本のワイヤーで主翼全体を捻れるのかがよく判らない。
実際の人力飛行機では操縦翼面と操縦桿をワイヤーで直結するタイプの操舵機構を採用しているチームはあまりなく、殆どはPICとサーボモーターを用いたフライバイワイヤで操舵を行っています。写真は尾翼取り付け位置付近のサーボモーター制御用基盤。テープで固定されているのは仮組み立て時の写真だからです。

「……何だか、意地でも軽くしたいみたいな感じねぇ……」
「したいんだよ。軽く。そうじゃなきゃ人力じゃ飛べないからな」
(P149)

垂直尾翼の異常な肉抜きっぷりから「意地でも軽くしたい」思いを感じてくれれば幸いです。
この肉抜きで数百グラム重量を落として喜べる、そんな人たちです俺らは。

「全幅三十八・二メートル、全長十・四メートル、機体重量三十キログラム
(P155)

この機体スペックの「リアルさ」には脱帽するしかありません。機体重量が多少軽いけれども、十分にそこらに居そうな数字です。全く同じスペックの機体が鳥コンに出ていても俺は驚かない。

何しろ全ての装置と設備は最低限しかないので、開閉式の搭乗口などつけようがない。乗り込んだ後に風防をネジ止めするのだ。
(P180)


写真は風防を前から撮ったところ。青く見えるのがパイロット座席です。
そして俺達はネジ止め機構の重量すら惜しいので、搭乗口の蓋はビニールテープで密閉してました。
パイロットが乗り込むたびにテープで止め、降りるときはカッターで切って搭乗口を開けていました。他のチームも大方こんな感じじゃないかな。

併走するカブ君のスピードメーターは、時期に時速二十メートルに達する。そろそろ浮いてもいいはずだ。
(P183)

まだ、地面と翼が織り成す地面効果で浮いているに過ぎない。これが「飛行」へと繋がっていくには、上昇しなくては。
(中略)
「大丈夫。もうすぐだ。もうすぐ二十五キロに達する!」
(P184)


基本的に人力飛行機の機速は「毎秒○m」と表記する事が多いので時速で書かれるといまいち感覚が掴み辛いです。25km/hってことは6.94m/s 7.5m/sくらいが標準的な速度なので多少遅め。
「長距離飛行用の大型機」と言う設定をきちんとここで生かされています。




……以上、作中に出てくる人力飛行機描写を現実のそれと対比させて解説してみました。
ここまで書いてみて思うのは、全くの素人ではないだろうけど経験者にしては妙な表現が多々あるという事。一般読者向きに判り易い改変をするのならもっと平易な書き方をすればよい所を、航空機についてある程度知識がある人でないと判らない表現で「トンデモ」な事を書いているんですよね。
余りにも微に入り細に渡る人力飛行機描写は作品全体の雰囲気からも浮いている気がしますし、どうしてこんな風にしたのだろう。


が、一般読者にとってこれらの記述は「……何処の宇宙の言葉喋ってるの? 二人とも?」(「少女」の台詞)に過ぎない気もしますけれど。俺が気にしすぎているだけかもしれません。