偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

上映開始から一週間で二回観に行ったし、そろそろヱヴァ破の話でもするか

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破


※今回の記事は「新劇場版:破」内容についての記述を多少含むので未鑑賞の方はご注意を。


「格好良い」は正義\(^o^)/



















a_park ヱヴァ破を見てて実感したのは、人間はあまりに強烈に格好良すぎるものを観てしまうと感心のあまり笑うしかなくなり、さらにそれを上回るものに直面すると心がオーバーフローして涙が出てくるってことだね link


a_park ヱヴァ破、基本的に戦闘シーンは全編通して笑ってた(嘲笑的意味でなく感嘆のあまり) 終盤は笑いすら止まり涙で画面が霞んだ link

a-park(えーぱーく) (a_park) on Twitter


NITRO SUPER SONIC 10th ANNIVERSARYのための6月末の上京の際についでとばかりに鑑賞し、TV放映された「新劇場版:序」を観て居てもたっても居られなくなり先週末の土曜日に2回目へ。


突き詰めて分解すれば「凄い!! 絵が動いてる!!」とでも言うべき原始的な感動が、「新劇場版:破」にはある。
一回目の鑑賞直後にTwitterに投げた感想、冒頭で引用した二言が「ヱヴァ破」に対する俺の思いの丈を端的に表現しています。

「走ってキャッチ」の下りなんて、一度目はあまりに過剰すぎる画面に圧倒され、二度目は落ち着いてみられると思えば細部に目が行くようになってますますその凝りように圧倒され。一度観て展開が判っているのにそれでも観ていると心が沸き立ち


批評的に観ることだっていくらでも出来るし、そうすべきなのかもしれません。けれど、そういった深い部分を云々する前に、まず第一に映像娯楽として素晴らしいのです。観るもの全てを引き込む格好良すぎる画面の力に、頭を空っぽにして溺れるのも悪くないですよ。


「明るくなった」ヱヴァに思うこと


「明るくなった」と巷で言われている「新劇場版:破」 しかし、俺がまず感じたのは明るさよりも判りやすさ。
終盤の命令違反→逃避→再搭乗の流れなどはあまりに素直な流れすぎて驚いてしまいました。中盤までのシンジ・レイ・アスカの淡い三角関係じみた日常だって、何処かの学園ラブコメかと見まがうくらいの癖の無さ。

83年生まれの俺は一般的に言うところのエヴァンゲリオン直撃世代。主人公達と同い年の中学2年生の頃に深夜再放送のTV版に触れ、高校に入ってオタク友人経由でVHS版の劇場版を貸してもらって一通り観てはいます。
しかし、こうして新劇場版の感想を書いていてつくづく実感するのは、俺がいかにTV版・旧劇場版エヴァンゲリオンに対して思い入れを持っていないかということ。
「新劇場版:破」と対応するTV版のエピソードがどんなふうであったか、終盤に近づけば近づくほど思い出せないのです。全話観ているはずなのに……


こんな体たらくなので今回の改変については良くも悪くも全く気になっていなかったりします。
旧版に対して何か思うところがあれば、新劇場版での様々な変更点に対しても語るべき言葉を持つのでしょうが、悲しいかな俺にそれはありません。
ある意味では新劇場版で初めてヱヴァに触れる若いオタクさん達と同じような
……というか、1回目の鑑賞ではアクションシーンに目を奪われているばかりで物語にまで全く心が行き渡らず、ようやくお話の内容について考えられるようになったのは2回目を観たから。いくら何でも画面に魂を惹かれすぎだろう俺は。


だからこそ、完全に新展開となるであろう次回以降がとても楽しみでもあります。旧版に気を取られることなく楽しめるこそ、このヱヴァンゲリオンという物語が何処に行き着くのかを観てみたい。