偏読日記@はてな

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恋と空戦の物語、ふたたび - 「とある飛空士への恋歌」(1)〜(3)

とある飛空士への恋歌 (ガガガ文庫)
とある飛空士への恋歌 2 (ガガガ文庫)
とある飛空士への恋歌3 (ガガガ文庫)

とある飛空士への恋歌 (ガガガ文庫) とある飛空士への恋歌 2 (ガガガ文庫) とある飛空士への恋歌3 (ガガガ文庫)

──海の尽きる場所を、空の果てを見つけるために。


「これはきれいに飾り立てられた追放劇だ」
数万人もの市民に見送られ、盛大な出帆式典により旅立ちの時をむかえた空飛ぶ島、イスラ。
空の果てを見つけるため――その華やかな目的とは裏腹に、これは故郷に戻れる保証のない、あてのない旅。
式典を横目に飛空機エル・アルコンを操縦する主人公カルエルは、6年前の「風の革命」によりすべてを失った元皇子。彼の目線は、イスラ管区長となった「風の革命」の旗印の少女、ニナ・ヴィエントに憎しみを持ってむけられていた……。
『とある飛空士への追憶』の世界を舞台に、恋と空戦の物語再び!!

小学館::ガガガ文庫:既刊案内

「とある飛空士への追憶」が面白かったので、続編と銘打たれた「〜恋歌」を3巻まとめ買いして読んでみたら大満足。
ラノベ3冊を平日の2日間(2/1〜2/2)で読み切ってしまったのなんて久しぶりですよ。


本作を読んでまずもって上手いと思ったのは主人公の人物造形。
元皇子というプライドと、自分をそこから追い落とした革命の元凶の少女への復讐心に凝り固まりやたらと屈折している彼は、端的に言うと本当に鼻持ちならない嫌な奴です。そこらの作品で「主人公のライバル」として登場してきそうなタイプ。
しかし、そんな主人公カルエルが革命によって庶民に身を落とし、失意の中で空を飛ぶことに希望を見出すまでを1巻のほとんどをかけて丁寧に描いているせいで、彼のねじ曲がった性格が逆に強烈な個性になってます。

登場当初が驚くほどに嫌な奴なので、その後の飛空士訓練過程での同級生との交流や、ヒロインの一人クレアとの触れあいを経て次第に彼の心が融けていく過程も微笑ましく見られるというもの。
気になる女の子が出来れば仲良くなろうと努力し、その娘の前で見栄を張って失敗して落ち込み、何気ないことで一喜一憂する彼の少年らしさが素晴らしかったです。鈍感な朴念仁はもう要らないんだよ!!


こうして1巻のほとんどを主人公の人物造形に費やし、2巻も主人公と対になるヒロインであるクレアの描写と、空飛ぶ島"イスラ"での日常描写に終始。真の意味で「恋と空戦の物語」となるのはようやく3巻になってからです。
初めからシリーズ化を前提とした構成のようで、物語の展開が非常に遅いです。3冊に別れていますが、1章・2章・3章と考えたほうが良いかも知れません。
かといって退屈という訳ではありません。世界観の描写を深め、人間関係の進展を丁寧に描き、ラストでは次巻への期待を残す強烈な引き、というシリーズものの教科書のような隙のない安定した上手さは安心して読み進めていくことが出来ました。


そして、なによりも3冊連続で読んで最も圧倒されたのが3巻中盤以降の"イスラ"防衛戦。
まるで2.5巻ぶん(1〜2巻+3巻前半)抑えていたものをすべて解き放ったかのような、息もつかせない展開には圧倒されるばかり。
主人公たちが戦闘機パイロットの訓練生であることから、本職の軍人パイロットに混じって防空戦闘を行うのは予想していました。
だがそれをさしおき、雷撃隊を誘導するため敵艦隊に単機で貼り付き続ける偵察機(乗っているのは主人公の同級生)の活躍から始まるなんてあまりにも渋すぎる。「学生が照明弾を撃ってるぞ!」→「この雷撃は外せない。外していいはずがない」の一連の流れには震えが来ましたよ。

だって、こんなに呆気なく人が死ぬなんておかしい。
人が死ぬときってもっと、なんというか、色々な過程を経てから、本人もあがいたり嘆いたり何かを悟ったりしてから死ぬんじゃないのか。
つい今し方笑みを交わしたら、次の瞬間には粉微塵になって死んでいるなんておかしいじゃないか

イスラを守りたい、なんてちっぽけな思い、この空では通用しなかった。
この空域を支配しているのは物量と機体性能と飛空士の技量、それのみ。
イスラを守りたい気持ちも、物量と性能と技量が劣っていたなら踏みにじられる。骨の髄までその事は理解した。

上記の二つは3巻終盤の主人公のモノローグからの引用です。
夢も希望も恋も友情も、全ては非情な戦争の前に打ち砕かれる。この醒めた描写の中で、きわめてラノベ的・アニメ的な「主人公が空戦の才能に覚醒」を違和感なく差し込んでくるあたりが著者の本領発揮だと思いました。


それと、前席にパイロット・後席にライフルを持った射手で空中に静止して敵機を撃つ(主人公の乗る練習機エル・アルコンはV-22オスプレイのようなティルトローター機)と言う形態にすることにより、素人にも判りやすい空戦描写にしているのは感心したところ。
戦闘機同士の空戦機動を真面目に書くと位置/運動エネルギーマネジメントの話になってしまい、知識のない人(含む俺)にはさっぱり判らないものになってしまいますからね。



3巻ラストでは「とある飛空士への追憶」との直接的な繋がりも明かされ、続刊が楽しみでなりません。
「海の果て」が何処にあるか判らない世界、と言う以外は「〜追憶」と共通する部分が見出せず、世界観のイメージのみが共通なのかと思っていましが、まさかそこまで直接の「続編」だったとは。
「とある飛空士への追憶」が好きな人にはたまらない展開でした。
何となく違和感を感じていた現代社会由来の部分(単位系・食材や料理の名前・一部テクノロジー)も、おそらくは作品世界の成り立ちと関連させ何らかの伏線になっているのではないかと予想しています。
「〜追憶」を読んだときから俺はずっとこの世界は植民惑星のなれの果てなのでは、と思っていたものの「高度を上げても水平線が丸くならない」という描写からもっとぶっ飛んだ何かなのではという気もします。


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世界観を共有する前作「とある飛空士への追憶」の感想記事。今になって読み返すと読了直後に書いたので感情過多すぎてどうかと思う部分もありますが、それだけの勢いで記事を書いてしまうくらい面白かったということでもありますね。