変化はどんなものにもやってくる、ってか
知り合いの知り合い、というか本家サイトからリンクしているサイトのリンク先で、趣味嗜好の方向性は俺とかなり似通っているもののあまりにテンションの高すぎる文章に辟易して定期的に見るのをやめてしまったサイトがありました。
最後にそこを見たのは約1年前、特大フォントに色を変えて「就職しました!!!!!!」 などと書き、職場での出来事を良くあるネタ日記サイト風の記事にしていたのが記憶に残っています。
先日ふとしたきっかけでそのサイトをまた訪れる機会があり、相変わらずの調子なのだろうなと懐かしく思いながら開いてみると……あれ?
そこにあったのはレイアウトは記憶の中の姿そのままながらも、昔の叫びに満ちた文章はすっかり鳴りを潜め「普通の」文章を書くようになっているサイト。
あまりの変わり様に名前の似た別の所を訪れたのかとさえ思いました。URLとサイト名を確認した後は管理人が変わったんじゃないかとしばらく本気で疑ってました。
レイアウトがほぼそのままなのが余計に違和感を煽っていましたね。
1年の社会人経験は人をここまで変えるのかと心底驚いてしまいましたよ。
とはいえ、「文は人なり」と言う言葉があるとおり文章*1と言うのは書き手自体を色濃く反映するもの。
生活環境が変わればものの見方も変わるでしょうし、上記のサイトでの出来事もある意味では当然の事なのかもしれません。
俺自身も3年前の開設当時の日記を読み返して見ると、はっきり言って自分の文章とはとてもじゃないが思えません。
その後今に至るまでお気楽な一般学生だった頃、学園祭実行委員で忙しかった頃、人力飛行機サークルで忙しかった頃、留年して暇だった頃と学生と言う大枠は変わらないものの、その中での立場の変化に応じて扱う内容や文体が変化しているのが通読してみると良くわかります。
それと環境の変化以外の要因として、その時々で気に入っていたサイトの文体を無意識のうちに真似してしまっていうのもあったり。
しかもそれが新しくお気に入りの所を見つけるたびに真似する対象が変わっていくため、昔の日記を読み返すとこの頃は○○(サイト名)がお気に入りだったんだなと克明にわかりますよ。自分のミーハーっぷりが情け無いことこの上ないです。
そして模倣する対象が替わった場合でもそれ以前の影響を引きずるため、どんどん文体が上書きされていって年月が経てば経つほど混ざり合って訳が判らない物に。
そういう意味では何の影響もなかった開設から半年くらいの間の文章が本当の意味での「俺の文章」なのかもしれません。
今となっては影響を受けた結果のこれが「俺の文章」として固まってしまっているのでそんな事を言っても仕方ないですけど。
はてな移転を機にまた文体が変わった気が自分でもしますが*2、このまま年単位で続けていくとどんな風に変わるのかちょっと楽しみだったりする今日この頃です。