「とらドラ!」1〜19話
先週の日曜の夜、ふと思い立って録画したままHDDレコーダーの肥やしになっていたアニメ版「とらドラ!」を見始め、気がつけば三日間でそれまでに放映された19話分を全部観てました\(^o^)/
水曜日までずっと仕事から帰ってきてから寝るまでの時間をアニメ視聴に費やしていました。観ながらTwitterに投げていたリアルタイム感想はついったー部日記の方でまとめたのでそちらを参照。
「とらドラ!」1〜19話を3日間で観た - a-parkの日記@ついったー部
マジこれは人生を削る…… 疲れました……
端的に言って自分が狂っている自覚は十二分にありますが、ただそれで終わらせるのではネットに溢れるオタク自虐日記。
いったい「とらドラ!」の何が自分をここまで狂わせるのかと言うことについて考えることが、結果として作品をより深く捉えることに繋がるのではないかと思い自分の感情を解剖してみました。
客観的な「批評」テキストは苦手だけれど、だからこそ出来る事もあると思うんだ。
と言うわけで以下感想を。
大河のことを序盤はそこらに良く居る社会不適合者系ヒロインだなー、と思いながら観ていたら、以外にまともな人で衝撃を受ける俺が。
実乃梨のやりとりを見て「こいつ、きちんと友人が居る!!(しかもその友人相手にはしごくまともな態度)」というファンの人に刺されそうな驚き方をしてました。
社会不適合者は社会不適合者でも、地に足の付いたそれとでも言いましょうか。自分で書いていて意味がわからなくなってきたけれど、こうとしか表現しようがない。
2話の二人で電柱に八つ当たりするくだり、「なんでみんな判ってくれないの!!」でこの辺りの思いが更に強化されました。あの電柱を蹴り倒すシーン(比喩じゃないよ)は19話の中で一二を争うぐらい好きです。
そして恋する女の子は可愛い、というより「恋は女の子を可愛くする」。大河がほんとうに可愛く描かれていて観ていて飽きません。
恋愛感情のないどうでもいい男(竜児)への態度は酷いのに、好きな男子(北村)を目の前にすればのぼせ上がってあたふたしてしどろもどろ。実にあの年頃の少女らしいその姿が、常時媚び媚びな「萌えヒロイン」よりかえって魅力的に映るのです。
大河の北村への態度を見て、「こいつ、きちんと恋に恋してる!!」と驚いていたのも良い思い出ですね。だからお前はどんな奴だと事前に思っていたんだという話だ。
「恋に恋する」を言えば主人公の竜児も同じ。1話での「これは俺が好きな女子のためにライブするときのためのプレイリスト、これは付き合って最初のクリスマスのプレゼント案、これは彼女に捧げる詩、これは……」のくだりの良い意味でのキモさ、童貞力が素敵すぎる。
ただの鈍感なラブコメ主人公でなくて、きちんと高校生の男の子してるのが好感が持てます。
亜美も、登場当初のあまりに底の浅い、判りやすすぎる猫かぶりに失笑してしまったのも今は昔。
色々と気がついて気を回せるのに、逆にだからこそ最後の一線を越えられないというか。何をどうあがいても報われないことが見えている中盤以降の彼女の姿には、大河や実乃梨と違った大人の魅力が。
大河や実乃梨と違って完全に一方通行なのが観ていて悲しいのですよね。
19話まで見た今となっては俺はもう あみちゃんかわいい\(^o^)/ を繰り返すただのBot。
実乃梨は……登場当初のただひたすらに陽気なだけの姿はあまり好きになれなかったのが、夏休み旅行あたりから深みが出てきて良く見えるように。
でもやっぱりあのハイテンションにはちょっと付いていけないです。どうにも裏に危うさが漂うんだよなあ、あれは。
同様に北村もちょっと付いていけない気分になることが。作中での周りからの捉えられ方とは逆に、彼は実際は亜美と同じくらい(もしくはそれ以上)周りが見えて気が回る奴だと俺は思うのですけどね。
表面に現れている空気の読めない陽気な部分のみがクローズアップされているけれど、あれは竜児からそう見えているというだけのことのはず。
そんな彼ら五人の中で友情と好意が入り組み、展開される不器用な青臭い感情のぶつかり合いが実にいとおしい。きっとそれが、おれが余暇全てをつぎ込んで19話を一気に観てしまった要因なのではないかと。
……というか、読み返すとキャラの話しかしてないよこの記事。お話の構造的な部分については今後のアニメ版の展開や小説版(かなり買いたくなってます)を観たときに改めて書こう。