偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

「被災地」ビフォアーアフター@俺の故郷

風景写真を撮るのが好きなので休日は外出先でよく撮影をしており、それは実家に帰省した際にも変わりありません。とくに何かを意図するわけでもなく、カメラの練習をかねて実家の近所を散歩しては風景を写真に収めていました。

しかし2011/3/11、東日本大震災の発生により事情は大きく変わります。俺の実家周辺は震災による津波浸水地域のど真ん中だったので、帰省した際に実家周辺を何の気なしに撮影した写真達が結果として東日本大震災による津波浸水地域の「震災前の姿」を残すことになってしまいました。
このことに気づいた2012年からは意識して震災前の写真・震災直後の写真と同じ位置での撮影を心がけてきました。そして2013年正月の帰省により写真がだいぶ溜まったので、これを機会に公開してみます。

ちなみに撮影時期2011/5のものは宮城の実家で津波の後片付けをしてきた - 偏読日記@はてなで掲載しているものと同一です。

駅前の空き地

2009/1

2011/5

2013/1

かなり前から駅前に存在するこの空き地、第15旅団が入浴支援の拠点にしていたお陰で整備されて地面が綺麗になっていました。

水路

2009/12

2011/5

2012/1

2013/1

震災前に設置されていた横木が津波で全て流されて2013年になっても復旧していません。土手も何カ所か崩れたままで、水路に沿った建物も取り壊されて減っています。

交差点

2011/5

2013/1

震災直後はどこから流れてきたかさっぱり不明なショッピングカートが放置されていたこの場所もだいぶ綺麗に。バックの住宅街の建物がかなり減っているのが判ります。

屋上から

2012/1

2013/1


2012/1

2013/1

動画が撮影されたのと同じ場所から。2012/1にはいくつか見受けられた廃墟が2013/1ではほぼ全て取り壊されていました。遠くに見えるがれき集積場は相変わらず。

道標

2012/1

2013/1

2012/1にめくれ上がったまま放置されて面食らった標識は2013/1でも変化無しでした。いつまでこのままなんでしょう…… かなり高いところにある標識がこんな風になっているのが津波の水位を思い知らせてくれます。

踏切

2012/1

2013/1

2012/1だと敷石や盛り土が真新しかったのが、2013/1には雑草が生えていました。泥まみれだった歩道も綺麗に。

車両基地

2012/1

2013/1

同じくこちらも雑草が。

フェンス

2012/1

2013/1

津波由来の土で覆われていた歩道がすっかり綺麗になっていました。
この付近の震災直後の状況については 仙台臨海鉄道 津波被害と復旧状況 が詳しいです。

道路

2011/1

2011/5

2013/1

津波で鉄塔1本と電柱全てが倒れてしまったのが全て復旧。写真右側にあった空き地に津波で流れたと思われるコンテナで囲われていました。

がれき?

2013/1

囲われたコンテナの中にはがれきと思われるものが積まれていました。

電器店裏(南から)

2011/5

2012/1

2013/1

2012/1時点では営業中の店の裏に回るとこんな風に未復旧で驚いたものでしたが、さすがに2013/1には綺麗になっていました。右手奥のネットカフェ(廃業)は取り壊されています。

電器店裏(北から)

2011/1

2012/1

2013/1

震災前と変わらないように見えて、よく比べてみると津波由来の泥が溜まっていて駐車場の柵が曲がったままになっています。

歩道橋

2012/1

2013/1

柵が曲がったまま放置され階段には溜まった津波由来のゴミがそのままだったこの歩道橋も、2013/1にはそこそこ片付いていました。しかし歪んでしまった歩道橋そのものは修理されず。


歩道(1)

2011/1

2012/1

2013/1

震災前に撮影した位置をどうしても特定できず、おおよそ似た位置からの撮影になってしまっています。津波で街路樹の根元にあった植え込みが全滅してしまいましたが、2013/1になってようやく少し草が生えていました。


歩道(2)

2011/1

2013/1

こちらも震災前に街路樹の根元にあった植え込みが全滅して2013/1になっても元に戻っていません。撮影位置がかなりずれてしまっていますが、2013/1の写真にわずかに写っているセブンイレブンの前で撮影したのが2011/1の写真です。

住宅街(1)

2011/5

2013/1

この辺りはすっかり更地になってしまっているので位置の特定が難しかったです。

住宅街(2)

2011/5

2012/1

2013/1

住宅の土台のコンクリートと、わずかに残ったブロック塀だけが昔の面影を残しています。奥に見えるのはがれき集積場。

住宅街(3)

2011/5

2013/1

この辺りは完全に風景が変わっていて、同じ場所で写真を撮れたのか自信がありません。

住宅街(4)

2011/5

2012/1

2013/1

震災前は住宅と森に遮られていたのが、津波でそれらが全て無くなってしまい非常に遠くまで見通せるようになっています。2012/1には生えていなかった雑草が2013/1にはだいぶ背が高くなっていました。

住宅街(5)

2011/1

2013/1

何も変わっていないように見えて、空き地が増え、民家のブロック塀や柵が壊れたままのところがいくつかあります。

神社(1)

2011/5

2012/1

2013/1

神社の周りの杉林は津波の影響で全て枯れてしまいました。

神社(2)

2011/5

2012/1

2013/1

2013/1にようやく鳥居が復旧していました。

石碑

2013/1


神社の境内、鳥居の脇にはこんな石碑が新しく建っていました。

水路

2011/5

2013/1

水路は元通りになったものの家の数が減っています。残っている家も2013年になってもブロック塀がなくなったまま。

道路

2011/1

2013/1

震災前に存在したコンクリートの塀があらかた無くなってフェンスに置き換わり、植え込みや樹木も減っています。これは写真を並べて比較してみるまで気がつきませんでした。

公園

2011/5

2013/1

やはりここでも樹木が無くなっています。



駐車場

2013/1

2013/1

標識

2013/1


2013/1時点でもこんな風景はそこら中に溢れていました。倒れている方向から津波がどう流れてきたのかよく判ります。


みやぎ復興パーク

2013/1

写真を撮影して回った津波浸水地域の中で見かけた看板。
参考:みやぎ復興パーク入居者募集のお知らせ | (公財)みやぎ産業振興機構



俺の実家の周りは仙台市若林区の沿岸や石巻市、陸前高田市あたりに比べるとかなり被害が軽く、海のごく近くの地区以外は街並みがほぼ残っているので一見するともう復興しきったように見えますが、こうして並べてみるとまったくそうでないのがよくわかります。
植え込みが軒並み無くなり、空き地も2013年になるまで雑草が生えていないというのは時系列順に並べてはじめて気がついたことでした。海水に浸され、津波が運んできた泥を被ったダメージは思った以上に大きいものだったようです。

およそ1年10ヶ月が経過してこれなら全てが元通りになるのは何時なんだろうという話ですよ。まして更に被害のひどい、街そのものが消滅しているようなところなんてもうどうなることやら。