偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

最近の読書(2010年3月版)

ここしばらく読んだ本の感想を書いていなかったのでまとめて更新です。
1作品1記事の原則にこだわりすぎると時間が無くて記事に出来なくなるので、この形式と通常の感想記事を併用していくのが良いのかも。


エンダーのゲーム (ハヤカワ文庫 SF (746))
エンダーのゲーム (ハヤカワ文庫 SF (746))

「頭の回る主人公が次々に襲いかかる苦難を切り抜ける話」として見るだけでも相当に面白いのに、単にそれだけで終わらず哲学的とすら言って良い方向へ持って行くラストには驚きと感動がない交ぜになった気持ちでした。初版刊行から25年が経ち、作中で表現されている「ゲームのような戦争」が現実になったいまでも全く問題なく読めるのは、単に舞台設定やガジェットだけの物語に終始していないからなのでしょう。

余談ですが、以前に「クジラのソラ」のことを幼年期の終わり×スポ根」と評したら「(幼年期の終わり+エンダーのゲーム)×スポ根」と訂正された意味がようやくわかりました。まんまじゃないかこれ!!

関連記事

クジラのソラ(1) - 偏読日記@はてな
クジラのソラ(2) - 偏読日記@はてな
クジラのソラ(3)(4) - 偏読日記@はてな
「クジラのソラ」を読んだ当時に書いた感想記事一覧。



小説のストラテジー
小説のストラテジー

物語好きならあまねく読んで損はない、実に刺激的で最高に実戦的な読み/書くための教科書。「物語を摂取する」という行為について、ここまで意識的に突っこんで考えたことがなかった身には目を開かれる思いでした。講義録を本の形にまとめているので、著者から読者への呼びかけのような形になっていて内容のわりにとても読みやすいのもよし。
例として上げられている作品や作家が主に海外文学であるため、いまいち実感として判らない部分があったのが難点ですかね。それらを具体的に思い起こせる人が読めばもっと違った感想もあるのかもしれません。



新装版 家政婦が黙殺 篠房六郎短編集 (KCデラックス)
新装版 家政婦が黙殺 篠房六郎短編集 (KCデラックス)

百舌谷さん逆上する 4 (アフタヌーンKC)
百舌谷さん逆上する 4 (アフタヌーンKC)

家政婦が黙殺」は古書店で旧版を購入済みだったものの、帯の描き下ろし新作の文字に釣られて購入。馬鹿な事を全く照れが無く全力で、というギャグマンガの鏡のような姿勢には痺れます。
……描き下ろし新作があまりに突っ走りすぎて自虐ネタの域に入ってしまっているのはいろいろな意味で心配になりましたけど。「この描き下ろしを読むのは、私の芸風を判って単行本を買ってくれた人達だけのはずですし、勝手にネットに転載しまくって大騒ぎにしようってたちの悪い人達とかいないと私は思いますけど?」って、篠房六郎先生…… 

百舌谷さん逆上する」の方と言えば、ツンデレを不治の病として扱うという一発ネタのような出発点からよくぞここまで展開させたと感心することしきり。もともと篠房六郎は人と人とのコミュニケーションにまつわる問題や可能性を描くのが芸風の一つなわけで、「病としてのツンデレ」とクラスの狭い人間関係の中で生活の閉じた小学生という舞台設定のなかで存分に腕をふるっています。「家政婦〜」で見せているような馬鹿ノリも作中に違和感なく差し込まれ、扱うテーマの重さを感じさせません。


それにしても「新版 家政婦が黙殺」の新作短編と「百舌谷さん逆上する」のカバー裏著者近況漫画を続けて読むと何とも切ない気分になってきます。篠房六郎先生……



ディエンビエンフー 6 (IKKI COMIX)
ディエンビエンフー 6 (IKKI COMIX)

濃密な書き込みの「百舌谷さん逆上する」の直後に西島大介漫画を読むと,視線をどこに向ければいいか判らなくなりそうな気分に。正直なところこの作品について俺はどういう感想を書けばいいのかいまいち言葉が浮かびません…… この6巻で第1部完とのことなので、もう一度最初から読み直してみようかな。