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偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

「感動して泣いちゃう」って、脳内に展開した「物語」が精神のカーネルメモリを侵食してるだけだよね

(私の)(ラノベの)読書は、


インストール : キャラクター
インストール : 世界観
本文の読み込み…


という雰囲気なので、軽いキャラクターの作品は、メモリやHDDを圧迫しないで読める。
どういうDLL構成になっているのかわからないけど、ツンデレキャラとか、なんか共通ライブラリがあるみたいで、インストールが簡単。

新刊を読む順番 - REVの日記 @はてな

巡回先で上記のエントリを読んで、いわゆる「物語に感動して泣いちゃう」という状況を上のようなモデルにするというアイディアが閃く俺。



第一段階:
外部メディア(本・ゲーム・映像作品といった媒体)に収められた「お話」を脳内の一時メモリ内に展開し、それを頭(CPU)で解釈しながらOS(精神)で「読む/観る」そして「楽しむ」
CPU使用率もメモリ自体の使用量にもまだ余裕があるので、「お話」を楽しむのとは別プロセスを走らせて「よくあるパターンの話だなぁ」とか「この作品の感想をどういう風にblogに書こうか」なんて考える事が出来ます。


第二段階:
「お話」のメモリ占有率が大きくなり、別プロセスを走らせるのが難しくなる。
が、いまだ展開されているのは割り当てられたメモリ内のみなのでOS(読み手の精神)は安定動作。
第一段階のように別のことを考えながら「読む/観る」訳ではないが、しかしどこか冷静な部分は残っています。


第三段階:
「お話」のメモリ消費量が激増してOS(読み手の精神)のカーネルが使用している領域すら侵食し、「お話」と読み手自身が完全同調。
感覚器官なんかも食われてるので(誇張すれば)もはや世界には読み手と対象の「お話」しか存在せず、その他全てはノイズ。
感動して泣いたりしちゃうのはこういう時です。
身体活動をコントロールするべきOS(精神)自体が「お話」を無条件で受け入れる状態になっているので、物語に体を操られてるって訳ですね。


第四段階:
OSクラッシュ。
盲目的にその「お話」の全てを受け入れるある意味悟りの境地。別名を信者。



なんて感じで。
大脳生理学的にどうとか実際のコンピューターの動作と比較とか野暮な突っ込みはかんべんな。

俺が実際に経験しているぶんには殆どは第二段階くらいで留まるんですが、ごくまれにそれ以上に進ませる作品がありますね。
本家サイトのレビュー記事で評価「9」がついてるのはほとんど第三段階くらいまで行ってます。


そして「好きなタイプのお話」はメモリ消費量が大きいので容易にOSクラッシュを招いてしまうとか、逆に嫌いな要素が混じってると別プロセスが自動起動してしまうとか他にも色々思いついたんだがこの辺りで自重。