至高の戦車映画 - 「レバノン」
去年の冬コミで上京した際に鑑賞した至高の戦車映画(≠戦争映画)こと「レバノン」のDVDをふと思い立って購入。
まかり間違っても面白い・楽しいと評せる作品ではありませんが、極限状況下での少人数での密室会話劇という観点から見るとなかなかのものですよ、こいつは。
戦車の外で何が起きているかは主砲の照準器からのぞいたごくわずかな光景と通信の声のみで表現され、全編を通して暗く薄汚れた戦車の車内のシーンが続きます。休息や待機、さらには小便ですら戦車兵達は外に出ないで車内で済ますのだからのだから徹底しています。休憩の際に飲んだスプライトの空き缶、たばこの吸い殻、軽食として持ち込まれていたクルトンが戦車の床にたまったオイルまみれの水に浸るそのさまは兵器の中と言うより戦車兵達の生活の場。
そんな狭い空間に押し込まれた戦車兵達の間でおよそチームワークというものが皆無、さっぱり仲が良くないのが独特の味を産みだしていると思います
なんせ開始10分もしないうちに誰が夜間見張りをこなすかで車内で口論が始まりますからね。
- 車長「装填手、おまえが見張りをしろ」
- 装填手「なんで俺なんだよ」
- 車長「おまえの仕事は弾を込めるだけだろ」
- 装填手「弾を込めるのには体力を使うんだよ! 座って撃つだけの砲手にやらせろよ」
- 砲手(えっ俺に振るの?)
- 操縦主「じゃあ俺が見張りを……」
- 車長「おまえに話は聞いてない黙ってろ!!」
要約するとこんな感じ。全編通してこうぎすぎすしすぎていて笑いすらこみ上げてきますよ。
さらに戦車の外で起こっている状況、彼らが参加している戦争がどんなものかほとんど説明がないところが不安を誘います。そもそもなぜ登場人物であるイスラエル兵達がレバノンに侵攻しているかもはっきり説明されず。極端に情報を制限したこのスタイルが、結果として情報を制限された環境にある主人公達との一体感を高めてくれます。
ちなみに鑑賞中にTwitterに投げていた感想は以下の通り。
「レバノン」のDVDが届いたので観るよ
そういや「レバノン」も一番最初のシーンにラストで回帰する そして状況が変わっているのに同じシーンなのにまったく違った意味が生まれる話だったな
この戦車兵たち車内でヘルメット被らないよな まあそうすると顔が見えづらくなって誰が誰だか判らなくなるので仕方ないか
「白燐弾は国際法上使用禁止だ だからあの弾のことは「火を吐く煙」と呼べ」 ここ最初に映画館で見たときに吹き出してしまった
RPG-7が直撃しても大丈夫なのはさすがのショット・カル戦車
暇をもてあまして最高にどうでもいい話を戦車内で始めるこのシーンは好きだw
イスラエル戦車兵とファランヘ兵は英語で話して、ファランヘ兵とシリア人捕虜はアラビア語で話して、戦車兵同士はヘブライ語で話して、三者間で言葉が通じてないってのが重要なシーンなのだが日本語字幕だとよくわからなくてなー
「規律と清潔さが戦車の指揮官の基本だ」(キリッ たぶん観客の全員が「こいつもうだめだ」と思うシーンだよなw
はい誰もが眠くなる夜間走行シーン来たよー (実際俺は映画館で見ているときちょっと寝た)
ラストまで来て初めて「戦車の外」の風景がはっきり描写されるんだよな そして最初に繋がる
冒頭ではさんざん発砲をためらった砲手が終盤では相手を視認できていなくてもとりあえず撃つ人になっているのは「成長」とは言わないよなあ
というわけで「レバノン」見終わった これは戦争映画ではなく極限状況下での密室会話劇として観るべきだと思う
待機中に手持ちぶさたになったので最高にどうでもいい猥談を始めてほんのちょっとだけクルーの結束が高まるシーンは何度見ても笑ってしまう。
そして「規律と清潔さが戦車の指揮官の基本だ」(キリッ のシーン、おそらくあれほど観客と登場人物の心が一つになるシーンはないと思います。冒頭ではさんざん発砲をためらっていた砲手が終盤ではためらいなく撃つ人になっているのとは逆の方向に戦場のストレスにやられてしまった結果ですね。