偽の記憶を信じて11年経っていたのに今さら気づいた
11年前の2002年、自分のPCを手に入れてメールアドレスとハンドルネームが必要になった俺は、本名を元に以下のような手順で変換を行いました。
- 1)本名が「三河」という姓
- 2)地元に「三河屋」という店があったので、「三河屋」というあだ名で呼ばれていた時期がある
- 3)「三河屋」をさらに変換、ハンドルネームは「三河商会」に設定
もちろん、ここで例に挙げている本名やあだ名の例は実際とは異なりますが"a-park"はおおむね上記のような3ステップを踏んで生成されています。
ここで一番重要なのは手順の2番目、変換キーに使っている「とあるもの」の存在です。俺の故郷の街に存在するそれを知らないかぎり"a-park"から本名への逆変換はほとんど不可能なので、ネットセキュリティの点でもっとも重要なのはここでした。
そして"a-park"と名乗りだしてから11年あまり。ふとしたきっかけから、「とあるもの」について検索してみたところ……
自分の"a-park"というハンドルネームを付ける元になった事実(と信じていたもの)が偽記憶の可能性が出てきたんだが おいちょっと待てや
— a-park(えーぱーく) (@a_park) 2013, 11月 14
具体的に何が起こっているかというと、"a-park"は本名を俺の地元の街にある「とあるもの」の名前を法則に使って変換した結果なんだけど、Google検索の結果その「とあるもの」がどうやら存在しないということに気づいてしまって混乱している
— a-park(えーぱーく) (@a_park) 2013, 11月 14
https://t.co/aAh7le4pko
https://t.co/0H9ajIxzZ7
某氏の助けに、これらTweetで言及していた件、完全に俺の偽記憶だと確定した 怖いよ……「とあるもの」の存在+αでそれについてのいろんなエピソードが記憶にあるんだけどこれ偽なの!?
— a-park(えーぱーく) (@a_park) 2013, 11月 14
たった20年前くらいでここまで完璧な偽記憶が出来るんだな 「体験したことの無いことをさも真実のように語る」というの、これと同種なんだろう 本人の中ではそれは真実になってる
— a-park(えーぱーく) (@a_park) 2013, 11月 14
ハンドルネームの変換キーのはずの「とあるもの」は存在しませんでした。
Google検索でヒットしない可能性も考慮してより確実な某データーベースの該当年度にも当たって発見できなかったため、俺の記憶の中にしか存在しないものであるのは確実です。
この11年間、俺は一体何を信じていたんでしょう…… 多少の勘違いによる記憶の取り違えくらいなら笑って済ませられるものの、上記の変換手順の所に書いたように「とあるもの」に由来するあだ名で呼ばれていた小学校生活の思い出が脳内にしっかりとありますからね。
脳裏にしっかりと刻まれていた「とあるもの」の所在地と外見も、Googleストリートビューでそのあたりを見て回ったら影も形もなし。
あまりの衝撃に一時は"a-park"としての自分のアイデンティティに深刻な危機を覚えましたよ。
判りやすく例えると、「あなたの名前はこういう由来で付けた」と両親から聞かされ、他人にもそう説明していた自分の本名の由来が全て偽の記憶だったとでもいうべきでしょうか。
単に偽記憶があること自体ならそこまでショックでないんだけどね
11年にわたり使っている"a-park"というハンドルネームを付けた由来が全部偽記憶だったというのが衝撃すぎて
— a-park(えーぱーく) (@a_park) 2013, 11月 14
俺は何故"a-park"なんだ……?
— a-park(えーぱーく) (@a_park) 2013, 11月 14
どんな由来で名付けたか判らなくなってしまっても、この名前で11年活動してきたこと自体は事実だし、俺を"a-park"として認識している人が沢山いるから俺は"a-park"なんだよ
— a-park(えーぱーく) (@a_park) 2013, 11月 14
自らが"a-park"であるのにはなんとか納得がいくようになりはしても一度根付いてしまった自分の記憶への不信感はもう消せません。中学校以前の思い出が、もうなにも信じられない。