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偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

心に積み重なった言葉のエッセンスたちは、いつか化石燃料のようにアウトプットされる

Blog記事の「タイトルの付け方」というのは、それだけで議論が発生しそうなくらい皆が一家言有るものです。
俺はと言えば、そこは完全に感性頼り。記事を書き上げたあとに内容を読み返し、方向性と狙う読者の層を踏まえた上で天啓の如く頭に沸き上がってくるものを待ってタイトルにしています。
はてダで3年も書いていると何となくテクニックのようなものは身に付きますが、これはもう言語化できるものではありません。本当に閃きまかせです。


そんなBlog記事のタイトル、最近付けたなかで特に気に入っているのはこれ。

唐突に出てくる「あの夏」のインパクト。「夏」「萌え絵」「ゲシュタルト崩壊」の三題噺とでも言いますか、関連のなさ過ぎる単語を連ねているのに何となく内容が判る。これはもう何度見返しても笑ってしまいます。

「萌え絵をずっと見つめ続けていたら人間の顔として認識出来なくなった」という内容の記事に対して、俺はこれ以上に衆目を引くタイトルを付けられる自信がありません。
同じ内容を書いたとしても、もっと真面目だったり内容を忠実に書いただけだったりするタイトルを付けていたらあそこまで注目を集めなかったでしょう。


そしてこのタイトル、「サマー/タイム/トラベラー」上巻の帯「あの夏、彼女は未来を待っていた」がモチーフとなっていることに昔の自分の記事を読み返していて突然気づいてみたり。
(ちなみに読み返したのは20007年2月の ラノベの帯とミリタリ系文庫本をマッシュアップしてみよう
全くのゼロから閃いたものだとばかり思っていた記事タイトルに特定の元ネタがあったと知ったとき、芽生えたのは自分の独創性への自信の喪失……ではなく、インプットが有効に働いていたことが実証された事への喜び。
例え意識の上ではすっかり忘れていようが、以前に目にした「言葉」がきちんと俺の中に蓄積されているものだと言う事を実感し図らずも嬉しくなってしまいました。

これまでの人生で読んだ本、目にした風景、聴いた音楽、話した会話。
今回は書籍の帯のフレーズをBlogの記事タイトルに引用というケースでしたが、それ以外にもきっと俺の書くもの話すことはこういった蓄積が変化して出て行っているのでしょう。それは、積み重なった微生物たちが数億年の時を経て化石燃料となるように。