偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

新旧「ヤンデレ」ラノベを読み比べて - 「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」「僕とヤンデレの7つの約束」

せっせと本棚に積み上げた未読本の消化にいそしんでいる今日このごろ、図らずも「ヤンデレ」ラノベに分類されるであろう2冊を連続で読んだところ、その差異が予想していた以上に面白いものがあったのでまとめて感想を書いてみます。

表面を彩る過剰さは魅力、だけど…… - 「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん


嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん―幸せの背景は不幸
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん―幸せの背景は不幸


本作の最大の特徴は、その独特の文体であるのは意見の一致するところ。これを快く/面白く感じるかが評価を左右するところですが……俺は全く受け付けませんでした。
ひとしきり独白してから、「嘘だけど」で自分の語りを否定する主人公は受け入れられるのです。このくらいは技巧の範囲、スタイルの違いでしょう。
だがそれ以前の地の文、形容詞の組み合わせや単語の段階で何かに耐えられなくなるのです。自分でも不思議なのだけどこれはもうどうしようもない。


内容に目を向ければ、目新しいところは無いながらもきちんとミステリとして成り立っていることが判ります。いかにもあからさまなミスリード誘導と、そこからラストのどんでん返しにつなげる構成は古典の極みではないでしょうか。
皆どこかネジが外れ現実から遊離したようなキャラクター達も雰囲気作りの面からは大正解。
そう言った「物語」としての根幹の部分は認められるし、いっそ好きなくらいです。それでも、表面を彩る過剰すぎる文章にどうしても耐えられないのです。
合理的理由など全くありません。俺が生まれてこの方どうしても椎茸を食べられないのと同じようなもの。

2年くらい積んでいたみーまーをようやく読了  自分のことを頭が良いと錯覚している高校生辺りが好きそうな文体だなあ

http://twitter.com/a_park/status/4030350894

読了直後にTwitterに投稿した感想。10年前、15歳の俺が本作を読んだらきっと大好きになっていたと思いますよ。


そして「ヤンデレ」作品としての面から見れば、これは確かに代表作の一つとして語られるだけのことはありました。
まずもってヒロインの「まーちゃん」=御園マユの歪みぶりが半端じゃありません。萌えオタの嗜好が極まった末に生み出された「狂気娘萌え」なんてのを超越したものが彼女にはある。……だって、読んでいて嫌悪感が湧いてくるんですよこの娘。
弁護の余地無く完全に「壊れて」いるので、主人公の「みーくん」に向ける盲目的な愛情と嫉妬心にも恐怖しか感じません。

しかし、だからこそ中途半端に救いを残した「ヤンデレ」作品達と一線を画していることは確か。続刊も読んでみたい気持ちはあるのです。あるのです……が、情景描写に使われる形容詞にすら違和感を感じて疲れるような文体の本をこれ以上読みたくないという気分もあり。本当にどうしましょう。


あらかじめ規定された「ヤンデレ」の薄っぺらさ - 「僕とヤンデレの7つの約束」


僕とヤンデレの7つの約束
僕とヤンデレの7つの約束


一時期は世の中の「ヤンデレ」の名を冠した商品の全てを網羅しようと情報収集に努めていた俺も、最近ではすっかりご無沙汰になっていました。
スーパーダッシュ文庫という一般ライトノベルレーベルでタイトルに「ヤンデレ」を説明無しに使った作品が出るなど、昔の俺にとっては大ニュースだったはずです。
しかしアンテナの鈍った俺は本作の発売についての情報を完全に失念しており、発売後にid:lieutenantA氏の感想記事(ヤンデレ能登の声聞きながら読もう〜 僕とヤンデレの7つの約束〜 - 徒然なる読書の日々出張版)を読んで初めて存在を知ったくらい。この情報弱者め!!


最初から「ヤンデレ」という型に当てはめて物語とキャラクターを構成し、そこに肉付けしていったようなお話です。が、その肉付けが圧倒的に足りない。
おかげで小説というよりあらすじをそのまま読まされているような気分に。表面に現れた部分があまりに過剰で饒舌すぎた「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」とは正反対でした。
判りやすく他のもので例えるなら、2chあたりで良くアップされている二次創作SS辺りを思い浮かべるのが一番近いでしょう。ドラマCD「七人のツンデレ」のスピンオフ企画だからこうなった? それが言い訳として許されるわけがないわ。


ヤンデレ」作品としての面で見ても、タイトルに明記されているくらいですからひたすら類型をなぞっていくばかり。
ジャンルが周知され発展していく中で数多の作品から抽出されて純化されたのが本作のような類型的「ヤンデレ」なので、類型そのものが悪いわけではありません。しかしそれを表現する語り口と構成の部分に上記のように大きな難点があるため、読んでいて全く深みを感じず上滑りしていくばかり。
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」とは違いこちらは読むのが辛いと言うことはありませんでしたが、逆にいくら読んでも自分の中に何も残っていかないようでした。



内容が先か、属性が先か


今回の感想記事で扱った2冊の差異は、全てこの一言に集約されるのではないでしょうか。
先に「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」という作品が存在し、作品内の要素が「ヤンデレ」として解釈されたのと、あらかじめ「ヤンデレ」という属性が存在しそれに合わせて「僕とヤンデレの7つの約束」が書かれたこと。

あらかじめ存在する先行作品の中から要素を集めて規定することにより、萌え属性は発生します。そんな「萌え属性」は、時が経つにつれそれ単体で作品を生み出せるようになるのです。
ヤンデレ」と今回扱った2作はこの過程にちょうど対応していると言えるでしょう。


2007年6月、まさに「ヤンデレ」が隆盛をきわめ始めていた時期に出版された「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」 2009年6月、説明無しにタイトルに使われるくらい「ヤンデレ」が一般化した時期に出版された「僕とヤンデレの7つの約束」
この2年の間に「ヤンデレ」というジャンルそのものが辿った道筋を、この2冊が象徴しているかのようでした。