偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

俺は相手に合わせて対応を変えられてる……つもりです

さあ夕食だ、と意気込んで炊飯器の蓋を開けたら芯の堅いおかゆ状のものが出来ていて心底へこんだa-parkですどうもこんばんは。
どうも最近炊飯器の調子が悪く、おかげでここ2日くらいまともなご飯食べてません。


…調子が悪いの判ってるなら使うなって話ですけどね。
パックのご飯は高いから嫌なんですよ。今日みたいに上手く行かなかったのも雑炊にしたりすれば何とか食べられるようになりますし(←人はそれを貧乏性と呼ぶ)




そして結局お湯を入れてお粥に作り直した例のご飯を食べながらネットを巡回していると、「体育会系ジョークとオタクジョーク、その間にある深い溝」なんて気になる記事を発見。


自分の実体験を思い返せば確かにそんな傾向はあります……が、どうも微妙な違和感が。
ここでは2つのジョークのタイプを全く不可分のものとしていますけど、「体育会系ジョーク」が自らの行為を通じて、「オタクジョーク」は自らの知識を通じてと言う違いがあるだけで結局は同意と共感を求めているところは根元の部分で同じなのではないかと思ったり。


求める結果は同じでも、それを実現するための方法が食い違っているためにすれ違いが発生してしまうのではないかと。
いたずらに自分の使い辛い方のジョーク種別を毛嫌いすることなく、相手に合わせて臨機応変に対応できるようになるのが理想でしょうね。



あと、少し気になったのは、ネットの世界においてはいわゆる「ヲタ系サイト」の方が上記の「体育会系ジョーク」(=自分の馬鹿さを強調)に走る割合が多いように思えるところ。
というか俺自身そうです。
これは現実における1対1のコミニュケーションとネット(サイト運営)における1対多という違いなのか、はたまた文字情報のみのネットならではのものなのか興味の尽きないところですね。