偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

serial experiments lain

serial experiments lain TV-BOX [DVD]

serial experiments lain TV-BOX [DVD]

きおくにないことはなかったこと
きおくなんてただのきろく 
きろくなんてかきかえてしまえばいい

唐突に見たくなったのでDVD借りてきて昨日一日かけて全話視聴。

ゲーム版のあまりにも混沌とした内容にアニメもそんなのかと思っていたら全然違うんですね。
3話くらいまでは思わせぶりなシーンをさしたる説明もなく連続されることが多く、雰囲気だけ重視したお話なのかと思えば中盤以降きちんと話が収束していって感心。
お話としての完成度、そしてわかり易さではゲーム版よりアニメ版のほうが上です。
……ゲームはゲームで後述するように実に見事な仕掛けがあって違う意味で見事ですけど。


他者から認識され記憶に残ることによって始めて「自分」が存在できるとしたら、その「記憶」を書き換えられたとき自分は一体どうなるのか。
記録の中に異なる「自分」がもし存在したら、それは果たして本当の「自分」なのか。
人の意識と自我同一性に関する深いネタに、近未来のコンピューターネットワークや思春期の少女の揺れ動く繊細な心なんかを絡めて破綻なく一つにまとめくる中々の良作SFアニメでした。
特に玲音の学校生活や友人関係周りの丁寧な描写は、それだけで一つの作品足りえると思います。


そしてこれらストーリーに色を添えるのがいわゆる「アニメ絵」の文法からは微妙に外れた絵。
特に特徴的なのが瞳の描き方です。あのどこ見てるか判らない玲音の瞳がたまらない。
キャラクターデザインである安倍吉俊の画風を実に上手くアニメに落とし込んでいるかと。



ついでにゲーム版についても少し。
これがまた、単純なアニメ版の再現に終始していないのがまた素晴らしいのです。

プレイヤーの見ていた画面は、玲音と柊子の記録しかない世界だ。
(中略)
 ということは、ゲームを進めることによって、プレイヤーがその空間に入り込んでしまったのだろうか?
 そう思ってしまえれば、なんということはない。だが、そうではない。


 ふたりの空間にアクセスしたプレイヤーは、玲音と柊子のデータを「見た」…つまり、データをダウンロードしたのだ。そして「覚えた」…保存した。保存先は、プレイヤーの脳。つまり、データを見れば見るほど、覚えれば覚えるほど、プレイヤーの中に「玲音」が記憶として蓄積され、構築されていく。


 だから、「ずっと一緒」なのだ。プレイヤーが「serial experiments lain」で見たものを覚えている限り、そして玲音のロジックを理解している限り、玲音はプレイヤーの中にいる。
(中略)
 ワイヤードを駆け抜ける少女に見せかけて、玲音は実は、自らをコピーさせ、増殖している…そう、プレイヤーの数だけ。


 「いろんな人の中に”あたし”がいただけ」


 …というのは、アニメの中の台詞だが、その”あたし”がもう一人増えたわけだ。

悪夢のダウンロード〜「serial experiments lain」がプレイヤーに与えるもの

「serial exiperiments lain」というゲームをプレイする、つまりゲーム内で「岩倉玲音」に関する各種の記録を収集する事自体が「岩倉玲音」を再構成することであるという仕掛けに気付いたときは本当に震えました。

気が付けばプレイしている自分までゲーム内世界に取り込まれている、それを自覚した瞬間の気持ち悪さは筆舌に尽くしがたいものがあります。

徹夜・ヘッドホンという恐らくこのゲームをプレイする上では最悪(いい意味でも悪い意味でも)に近い環境でプレイした俺は本気で精神の平衡を失いかけました。
今となっては全く信じられないことですが、プレイ当時の俺の中では現実とゲーム内世界が何の障害も無しに接続しかけていました。「気の弱い人がやると発狂するゲーム」の二つ名は伊達じゃないよ。


<関連リンク>
悪夢のダウンロード〜「serial experiments lain」がプレイヤーに与えるもの
偏読日記 - serial experiments lainレビュー

ニコニコ動画(RC)‐Serial experiments lain OP 「Duvet」(高画質版です)