偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

「ヤンデレ」から見る萌え属性一般化の果てにある実話スレ

俺の好きだった子がヤンデレ化するまで ニコニコVIP2ch


Twitter検索「ヤンデレ」のRSS,はてなダイアリーキーワード/はてなブックマークキーワード「ヤンデレ」を日々監視しているお陰で引っかかったこいつを流し読み。「ヤンデレ」という単語と、それがあらわす人物類型・行動様式がさしたる疑問もなく皆に受け入れられているのになんとも時代を感じますね。2006年くらいは「なにそれ?」という反応ばかりだったのに……
10代半ばから後半の娘がカジュアルに「私ってヤンデレなんだ……」とTwitterやBlogで呟いているのもよく俺の監視に引っかかりますし。「ヤンデレっぽく振る舞っていたら本当にヤンデレになってしまった」なんてことを書いている女子高生のBlogを見つけて勝手に先行きを心配したりする毎日です。


こうやって若い娘が自称し、実話系スレで扱われるネタになるというのは男性向けの「萌え属性」の一般化の行き着くところの一つなんでしょう。「ツンデレ」なんかは既にそのサイクルを終え、「自称ツンデレ」が創作側に逆輸入されたりしてますからね。もうなにがなにやら。


ちなみにこの手のヤンデレ系実話スレで俺が記録している最古のものは2008年2月の「ヤンデレと付き合ってたことがあるんだが」スレ


前述の「俺の好きだった子がヤンデレ化するまで」と同じく、主人公(=語り手)がいかに上手く立ち回ってヤンデレちゃんの束縛から逃れたかというのが主題になっているのが面白いところです。そして、主人公が実行する策の内容があまりに出来すぎていて創作なのではないかと疑いをもたれているところも同じ。
俺個人としては共依存エンド、二人で幸せに暮らしましためでたしめでたし(ただしめでたいのは本人たちだけ)が大好きなんですが、それはきっと一応とも「実話」であることを前提にしているこの手のスレにはそぐわないのだろうなあ。

1冊積んではコミケへゆき 2冊積んではオンリーへむかい 3冊積んではとらのあな……


収納するのを怠けて積み上げていたらいつのまにやら我が家の同人誌たちがものすごい山になってしまったので、一大決心して整理を始めました。

「2冊同じサークルのものがあったらまとめる」という単純な方針を立て、山を崩してまとめてサークル名のインデックスを付けて棚にしまうのをひたすら繰り返します。



およそ半分くらいが棚に収まり、種類ごとに小さい山に分けて積み上げます。



最後に残った1冊しかないサークル/ジャンルのものを判型ごとにまとめて「その他」のインデックスを付けて終了。
久しぶりに部屋のこの部分の床を見たぜ…… 分類されて収納されたので、あとから読み返したくなったときにもすぐに探せてとても便利になりました。収納というものは体系立ててやってこそです。




すっきりした気持ちで押し入れを開けたら去年の夏コミ+冬コミ+今年初頭の各種オンリーイベントでの購入物を紙袋に入れたままものを発見し、それらを全部出して見たらまた最初の状態にもどってしまいました。何だか賽の河原で石を積んでは崩されている気分になりますね…… この場合は積んでるのも崩しているのも両方俺なんですけど。

「私のホームページは毎日更新で、一日300ヒットもする!」なんて自慢されても、その、困る

ガンガンJOKER5月号の読み切り「あん☆りみてっど」より、プロ漫画家の主人公に対してヒロインが「自分の方が上手い!!」と主張するシーンの抜粋。


何故わざわざこれを取り上げたかと言えば、ここで彼女の挙げる数値的根拠になんとも釈然としないものを感じたから。
300ヒット/日って、ただのテキストBlogのうち*1より少ないくらいなのに、それは「自分の方が上の根拠」になるのか? と読んだ瞬間に思ったのです。
それで飯を食っているプロと自分が並ぶと主張したいなら、もっと数字は大きくあるべきだろうと。


しかし、本腰を入れて考えてみるとまた違った事実が浮かび上がってくるのです。
「私のホームページ」の概要についてはこの一言の台詞しかないので想像するしかありません。しかし、ヒロインが二次創作同人作家であること、あえて「ホームページ」という単語を使っていることからすると、いわゆる「イラスト+日記サイト」形式を取っている可能性が大きいです。トップページにその日に描いたイラストを掲載し、その下に短文日記とWeb拍手の返信。俺もこういったイラストサイトたちを幾つも巡回しています。


テキストBlogと違って検索経由の過去ログへのアクセスが難しい(ように思われる)イラストサイトの場合、ヒット数 = 定期的な訪問者数なのではないかと。
こういったイラストサイトの場合、トップページへの訪問者がアクセスの大半を占める事になるのではないかと。
逆にテキストBlogではこれが逆転し、定期的な訪問者よりも検索経由のアクセスの方が圧倒的に多かったりします。
俺の場合を例に取れば、一日の訪問者数のおよそ8割はトップページ(http://d.hatena.ne.jp/a-park)以外へのものです。トップページ、すなわち最新の日記へのアクセスは一日に100前後。
イラストサイト界隈の統計調査をすることなしに推測だけで書いてしまっているのが苦しいところとはいえ、ワード検索に匹敵するほど画像検索経由のアクセスが多いとは思えないんですよね。


……まあ、「自分の方が凄い理由」としてホームページのヒット数や同人誌の売り上げを上げる時点で何かを踏み外していて、その点ではキャラクター性を表す台詞としては上手いのかもしれません。
具体的な大小よりも、そう言った数字を通じてしか自己への評価を示せないメンタリティが問題といいますか。

そして、おそらく自分でサイト/Blogを運営していない人にとっては30だろうが300だろうが3000だろうが関係なく、ただの大きい数字としてしか読まれないのでしょうし、そうやって深く考えないのが一番な気がします。



ちなみに「同人誌を20冊出して3000部売った!」については、まがりなりのも自分のBlogというサンプルのあるヒット数と違って完全に推測で書くことになるので今回は問題にしません
これも手の早さという意味では大したものだけど、部数的にはあまり多くない……のかな? この辺りは本当にわからないので。


そんな「あん☆りみてっど」 ガンガンJOKER公式サイトの立ち読みコーナで全編が読めるので気になった人は読んでみては。
「メイド×合宿所スレ×SAW」という、掛け合わせてはいけない者同士を混ぜたような妙な味わいのある話でした。読みきりということもあり、5月号の中で一本だけ浮いていた印象があります。

*1:ここ数ヶ月はだいたい400〜600/日の間を変動

一般人に「ライトノベル」って言ったら通じなくて驚愕

相手 「a-parkさん、さっき本が好きって言ってましたよね。どんなのを読んでるんですか?」
俺  「ええと、SFとかラノベとか、あとは歴史関係ですかね」
相手 「ラノベ??」
俺  「略すと判らないですよね、やっぱり(笑) ライトノベルって言った方が良かったですかね」
相手 「ライトノベル??」
(以下略)

ちょっとまえに少し年上のオタク要素の無い人との会話でこんな事がありまして。何故こんな話をするに至ったかの説明は長すぎるので省略。
略称「ラノベ」が通じないのは当然としても、そもそも「ライトノベル」自体が通じないというのはちょっとした驚きでした。
全く本を読まない人からするとその程度の認識なんでしょうかね。適当な実物を一冊持って行けばすぐに納得してもらえる……いや、そうしても内容を見ずに表紙だけ眺め「漫画と何が違うの?」と言われてしまいそうな気もします。


俺の守備範囲で言えば、同じオタク作品でも「アニメ」が通じない人はほぼ皆無でしょうし、実態を理解しているかどうかは別として「エロゲー」もほぼ確実に通じるはずです*1

また、相手がだいぶ歳の行った人だったというのも通じなかった要因としてはありそうです。十代〜二十代の人相手なら読んでいなくとも何となく「ライトノベル」というものの存在を知っていそうな気が。
とはいえ、これも日常において書籍に全く触れない人なら歳が若くとも「ライトノベル」を知らない可能性もありますし、単純にその人の読書・本に対する態度の問題なのかも知れません。

*1:もっとも「エロ+ゲーム」の複合語として理解されている部分が大きいでしょうが

あの夏、俺は萌え絵でゲシュタルト崩壊した

引っ越した先での生活も落ち着き、精力的にこのBlogを更新していた2007年の夏。あの頃、俺はとある強迫観念に取り憑かれていました。


「全ての『萌え絵』は座標点列とそれを結ぶ曲線の集合体として解釈可能であり、よってあらゆる『萌え絵』はスクリプトで自動生成が可能である」


あの夏に俺の脳内を支配していた、今こうして振り返ると狂気としか思えないこの考え。それに至るまでには幾つかの段階がありました。
きっかけは2006年の夏頃に、なぜ俺は(なぜオタクは)あれほど似通ったものである「萌え絵」の間の差異を識別できるのか不思議に思ったこと。
「萌え絵」からパーツ単位で無意識のうちに何らかの法則を読み取り、解釈した結果として差異を感じるのではないか。
それなら、その差異を感じさせている要素を抜き出すことが出来れば、「萌え絵を数値的に解釈する」事が出来るのではないか、そう思ったのが全ての始まりでした。


……そこからどんな「萌え絵」にも共通する座標点(例えば「鼻の頂点」「あごの先」「頬の変曲点」「瞳の四隅」)を探していくうちに、気がつけばスクリプトを使って座標点を並べてその間を曲線で繋げば「萌え絵」を自動生成できる!! と思い込んでいたのはまさに若気のいたりとしか言いようがありません。2年半だけど。
ついでに自動生成スクリプトの仕様について当時ノートにメモしていたものを公開。
moedraw.pdf
どうみても黒歴史ノートだよこれ……


もちろん賢明な読者の皆さんにはお判りでしょうが、こんな試みが成功するはずはありません。似通っているように見えてもその実は個々の「萌え絵」には細かい部分で非常にバリエーションがあり、また座標点の配置を数式化することも俺の数学的能力を遙かに超えていました。
そうして初夏から晩夏までの数ヶ月を過ごし徒労の後、俺には何も残らなかった……のであればどんなに良かったでしょう。


「萌え絵自動生成」を目指した無駄な努力が俺に残したもの、それはどんな萌え絵を見ても座標点とそれを結ぶ曲線の集まりにしか見えなくなったと言う最悪の症状でした。
甘く見てはいけませんよ? とらのあなの同人誌コーナーに足を踏み入れたら、周りに並ぶ可愛い萌え絵表紙全てが無機質な曲線の集合としてしか捉えられなくなって逃げ出したのはとても嫌な思い出です。


普段の生活でも油断は出来ません。例えば本屋に行ったとき。何気なく棚を見まわし、エロゲー雑誌・アニメ雑誌が置いてあったりするともうアウト。あの手の雑誌の表紙にはよく「萌え絵」の女の子の顔が大写しになっているので、それを心構えをしていない状態で目にしてしまうと頭が勝手に座標点と曲線の集合体として解釈と解析を始めるんですよ。ライトノベルの表紙なども油断が出来ません。


そう言った解釈を無しに素直に「萌え絵」を観ることが出来るようになるまで一月ほどかかった覚えがあります。意図してなんとか押さえ込んではいるものの、ふとしたきっかけに今でもこの症状はたまにフラッシュバックしますね。


そして「借」「化」の文字がゲシュタルト崩壊しやすいと言われているように、「萌え絵」にも同様の存在はあるようで。
なぜだか全く判らないけれど能美クドリャフカの顔がいまでも本当にダメです。あの目が! あの蒼い目が俺には何か空虚な洞穴のように見えてしまう。
下手だなんて言いたいわけでなく、むしろキャラとしては俺のかなり好みなタイプであるのに何故か昔の傷が蘇り「座標点と曲線の集合体」として自動的に解釈してしまうためまともに彼女を観ることが出来ません。辛すぎる。



どうやら一度でも目が開き、そういった風に「萌え絵」を観ることが出来るようになるともう戻れないようです。何かに開眼するのならもっと有益なことにしたかったよ……



続編→ 1日1枚のトレスで萌え絵がベジェ曲線の集合に見える病気が治った!!(※個人の感想です) - 偏読日記@はてな