最近の読書(2010年1月版)
ちょうど1月も終わりと言うことで、今年に入ってから読んだ本の感想記事をまとめて書いてみます。
掲載順はそのまま読んだ順。
あらゆる世界の経験を糧に、全ての可能性を、武器に──
さあ、トライ&エラーをはじめよう。
「人間がロボットに見える親友の女の子」という題材は風変わりで目を引くけれど、良く言われているほど凄い話ではないよな……と思っていました。
しかし、2章「1/1,000,000,000のキス」を読み始めてしばらく、そんな思いはすっかり鳴りを潜めている俺の姿がそこに。
比喩ではなく宇宙的なスケールの物語に発展する展開があまりに衝撃的すぎてページをめくる手が止まりませんでした。細かいシーンごとにぶつ切りで序盤は何だか妙に感じた構成も、ありとあらゆる「私」が並列するようになってからはむしろ内容と合致していて良し。
読む前に方々で目にした本書と「Steins;Gate」の類似性については実際に自分で読んでみて納得。ちりばめられた物理学ネタ、携帯電話、「繰り返し」。確かにこれは似てるどころの話じゃない。
ほぼ同じ題材を扱いつつも、ノベルゲームと小説という媒体の違いがそのまま表現上のアプローチの違いとなっているのがとても面白いです。なので類似点を探してあげつらったりする気には全くならず、むしろ同じテーマの料理の仕方の違いを楽しんでいました。
第2次世界大戦中のソ連空軍女性パイロットを扱った本として有名なのが本書。
ドイツのソ連侵攻とソ連空軍壊滅、女性パイロットの養成開始、実戦に投入されての戸惑い、激戦の中ですり潰されていく彼女達、そして訪れる平和への喜び。
豊富な証言を交え、「ソ連空軍女性パイロットたちの駆け抜けた戦争」を実に生き生きと描いています。
少々引っかかりを覚えたのは、戦場での男性パイロットとのロマンスといった女性としての部分に重点がおかれ、全体的に叙情的に感のあるところ。これは「女性兵士」を語る上では避けられないことなのかもしれませんが……
琵琶湖に降ってきた女性型異星人"アポストリ"との共存とそれにまつわる政治的・社会的問題というのは本作を貫く題材ではあります。が、細かい部分を深く掘り下げて行けば行くほど、あまりにも「人間的」すぎるアポストリ達の不自然さが浮き上がってくるという問題が存在しました。
ここまでかなり巧妙にそのあたりを意識させないよう展開しており、この5巻でも上手く逃げ切って非常に爽やかに2種族の未来へ希望を残して完結しています。
だけど、結局「人間の女性」で重要な役割を担った人が1人もいないんですよね。「人間の男性」「アポストリの女性」(そもそも女性しかいないけど)の2つで話が進んでいってしまったのが「葉桜の来た夏」の抱える矛盾というか問題を象徴しているように思えてならないです。
確か買ったのは2008年の夏前のはずでした。それから折を見て数ページ単位で適当にめくって読んでは居たものの本棚の未読本コーナーに放置しっぱなしだった本書を一念発起して巻頭の「あ」から順に読み始めたのがおよそ半年前。
全編通して日常生活で絶対に使わないし触れない単語・知識に満ちていて、最初は戸惑ったものですが段々と非日常に浸る楽しみのようなものを覚えてました。
たとえば引き金や安全装置の仕組みなどは工学的洗練の極みで動作の解説図を見ているだけで感心してしまいますし、有名銃器メーカーの浮き沈みの歴史や伝説的な銃器開発者の生涯などについても載っていて読み物として面白いです。
何人か掲載されている「伝説のガンマン」たちの業績があまりに人間離れしていて度肝を抜かれたりもしていました。「空き缶を空中に放り投げ、右手で握った銃で缶に命中させると、左の拳銃もコック・アンド・ドローで抜き、右手の銃を空中に放り投げ、その間に左手の拳銃を右手にトス、再び缶を撃ってから空中の銃を左手で受け取る。この間0.4秒あまり」(「リード,セル・"マーク"」の項より)書いてある動きは理解できるんですが0.4秒って……