偏読日記@はてな

本を読んだりゲームをしたり、インターネットの話をしたりします。小説も書きます。

少年は、宇宙を駆ける - 「シドニアの騎士(2)」

シドニアの騎士 2 (アフタヌーンKC)
シドニアの騎士 2 (アフタヌーンKC)

誰にでも勧められる弐瓶勉作品なんてものが世に出る日が来ようとは……


時間・空間的に異常にスケールが大きい世界を、言葉だけのものでなく説得力のある「画」として表現してしまう。それが、俺にとっての弐瓶勉作品の魅力の一つでした。「3000km上まで続く螺旋階段を自分の脚で登る」(「BLAME!」より)なんて概念自体をまず思いつかない。
だが、そのおかげで一見では恐ろしく理解しづらい漫画になっていたのもまた事実。「BLAME!」なんて、1話通して主人公以外の人物が登場しない+主人公の台詞が5個以下なんてざらですからね。1コマごと、1つの台詞ごとにかなりの情報量が込められているけれど、それを読み解かないと深いところまで理解できません。


その点、この「シドニアの騎士」は"判りやすい"ことこの上ないです。「唯一無二の生活の場にして故郷である恒星間移民船を守るために異星人と戦う少年」なんて、直球過ぎるにも程がある。
そんな筋書きでありながら、冷酷なまでの人命の軽さ、時間・空間的なスケールの大きさなどはこれまで通り。シドニアが緊急避難のためにちょっと加速しただけで内部で大量の死者が出て(重力が本来想定しているのと違う方向に働くため墜落死)主人公の同級生たちも重要なキャラクターだろうがそうでなかろうが区別無くとんでもない勢いで死んでいきます。表面的な物語の明るさにそぐわないこの辺りの雰囲気には最初かなり面食らいましたよ。


エプロン×安全帯というファッションセンスには脱帽するしかない。
誰も彼もが常に安全帯を片時も身体から離さないという我々の常識からすると意味不明な描写も、緊急加速によって重力の方向が変わることによる墜落の危険性に常に晒されている恒星間移民船の住人である彼らにしてみれば当然なわけで。こういった微妙な常識のズレの細かい部分をしっかりと描いていることで、物語に深みがでているのです。
そして、その「ズレ」についてしたり顔で解説せず(何たって作中の彼らにとってはそれが常識なのですから)物語への没入を妨げないのがまたよし。このあたり、その昔にIFCONストライクウィッチーズについて「変な世界を舞台にするなら物語は王道にしなければならない」と語られていたのを図らずも思い出してしまいました。